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『放蕩息子』(ほうとうむすこ、)は、バレエ・リュス(ロシア・バレエ団)による最後のバレエ作品、またセルゲイ・プロコフィエフによる同バレエのための音楽(作品46)および交響組曲(作品46bis)。その音楽の一部はプロコフィエフの『交響曲第4番』に転用されている。 == 成立の経過 == バレエ・リュスの主宰者セルゲイ・ディアギレフから、誰でもが理解できる簡単なストーリーを考えるよう求められたボリス・コフノは、聖書(『ルカによる福音書』)に登場する放蕩息子の寓話を主題にすることを提案し、このアイデアが採用された〔リチャード・バックル、リブロポート、鈴木晶訳『ディアギレフ ロシア・バレエ団とその時代』1984年、下巻263ページ〕。 1928年初秋に作曲を委嘱されたプロコフィエフは、11月には早くもスケッチを完成させ、冬にはオーケストレーションが行われた。あまりの仕上がりの早さにディアギレフは驚き、作品が大したものにならないのではないかと考えたが、できあがった音楽には満足した〔田代薫訳『プロコフィエフ 自伝/随想集』音楽之友社、2010年、123ページ〕。 ディアギレフは美術をアンリ・マティスに依頼したが、劇場の仕事に幻滅していたマティスが断ったため、コフノは聖書をテーマとする作品で知られる画家ジョルジュ・ルオーに依頼することを提案した〔バックル、前掲書、下巻285ページ〕。ディアギレフは、当時のパリにおけるルオーの最大のコレクター福島繁太郎・福島慶子夫妻の家を訪れ、ルオーへの依頼を決定した〔芳賀直子『バレエ・リュス その魅力のすべて』国書刊行会、2009年、268-269ページ〕。ルオーにとっては初めての劇場の仕事であったが、ディアギレフの再三の督促にもかかわらず作品に手をつけなかった。ある日、ディアギレフが激怒したところ、ルオーは一晩でデザインを仕上げてきたという〔バックル、前掲書、290ページ〕。衣裳はルオーのデザインに基づき、ヴェーラ・スディキナ(後のストラヴィンスキー夫人)が担当した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「放蕩息子 (バレエ)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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